情報過多について考えてみた

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こんにちは。世界中からの情報があちこちから入ってくる中で、みなさんはそれらをどのように扱っていますか。

わたしは情報が多すぎて、何が本当なのか混乱します

インターネットが普及して、世界中の情報を手に入れることが出来るようになりましたが、そもそも情報自体の量は、インターネット以前から変わっていないのではないかと思います。なぜそう思ったかというと、インターネットが普及する前は、自分の周りの情報だけで生活していましたよね。時々ジャーナリストの方々が、世界情勢を教えてくれたりしましたが、それも今ほど広く、そして多くの量を発信されていなかったように思います。情報は今のように、あちこちに散らばってはいるけれど、その情報を世界に発信する人が少なかったので、手に入る情報も少なかったということではないかと思うのです。情報のジャンルは増えたかもしれませんが、それに伴って失ったジャンルも多いのではないかと思います。

そしてインターネットが普及して、誰でもいつでも繋がれるようになり、更に個人でも発信できるようになったので、人の数だけ情報が発信されるようになり、受け取れるようにもなりました。それで入って来る情報が増えて、情報過多状態になっているのかと思います。

発信者が、これは正しいと思い込んで発信することもありますので、それが本当かどうかは、受け取る側が判断しなければなりません

情報過多と言っても、自分に集まってくる情報の中で、どれが自分に必要なものなのかを取捨選択すれば、実はそれほど多くは無いのかな、とも思います。入ってくる情報のすべてを理解して覚えようとするから、容量オーバーになって過多になってしまうのですね。

そして情報が多いということは、一つの物事をそれぞれの方向から見た人々から、情報が投げかけられているので、多面的に捉えられると思っていいのかな、と思うのですが、ここで大切になるのは、自分はどの情報から何を考えるかですよね。

例えば大海の中から、自分の好きな海藻や魚介を選べばよくて、大地の上から、自分の好きな動植物を選べばいいわけですよ。自分の好きなものや必要なものを選ぶことが出来れば、人はもっと身軽に広い世界を生きていけるのではないでしょうか。

情報の渦の中でグルグルしていて、結局視野が狭くなっていては本末転倒です。視野を広げるために集めた情報に振り回されて、気付いてみれば何も行動していなかった、なんてことにならないように、一度立ち止まってみると良いかも知れませんよね。

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