怒りの根底には

庭-1 その他

こんにちは。

ふと思ったことがあるので、それについて書いてみようと思います。

題名にも書きましたが、怒りの話です。

みなさんは、怒りの根底には、何があると思いますか。怒りは怒りであって、その他の何物でもないと思われるでしょうか。

わたしは、怒りの根底には悲しみがあるのではないかと思いました。なぜかと言いますと、以前、断捨離の話の中で出した、例え話を書いていて思ったのです。その内容を、以下に入れますね。

新しく買ってもらった物は、お店の棚から誰かの家にやって来て「さあ、これから役に立つぞ!」と喜んでいます。最初は使ってもらえて生き生きしていたのに、持ち主が飽きてしまったのか、次第に使ってもらえなくなりました。いつも決まった場所に放置され続け、自分の価値を見出せなくなっていきます。「自分はもう不要なの?」と悲しくなってきます。この頃から邪気が立ち上り始め、ホコリと邪気まみれになった頃に、「なんでこんな目に合わなくちゃいけないんだ!」と、今度は怒りが沸き上がってきました。この邪気を持った怒りは、次々と悪いことを引き寄せ始めます。(断捨離の効果-風水の視点から-1

といった話です。覚えていらっしゃいますか。

放置され続けたモノは、最初は悲しんで、段々怒りがわいてきます。出発点は悲しみですよね。

今回は身体を例えにしてみます。

毎日偏食を繰り返すパターンです。添加物ばかりの、油ばかりの、ミネラルのない食生活で、本人は美味しいから楽しいからと、運動もなくゴロゴロ怠惰に毎日を繰り返すのですが、身体の方では、取り込まれる材料を素に身体を維持していかなくてはなりません。体調管理部長が「それは倉庫に、これは体調維持の材料に回そう」と必要な栄養素が不足する中、何とか健康を保とうとするのですが、入って来るものは油と化学薬品ばかり。悲壮な気持ちでやりくりしていても、使えないものばかりが体内倉庫に保管され続けます。やがて体調管理部長が、「健康維持不可能」のハンコを押します。ついにそのハンコを手にしたその時、怒りが噴出してしまうのです。部長の下で一生懸命に働いていた赤血球や白血球、その他の体内維持者達も怒り出します。その頃には、体のあちこちに病気が発症していて、免疫力も発揮されていません。免疫に必要な材料も無いのですから仕方がないですよね。

長い例え話になりましたが、この病気の発症や悪化が、身体の怒りなのではないでしょうか。自分に置き換えても、一生懸命やっているのに、周囲からは文句ばかりとなれば、なんで協力してくれないのかと悲しくなって、最終的には怒りが出てくると思うのです。これが怒りの根底に、悲しみがあると思った理由です。

病気で苦しんでいらっしゃる方には、なんだってー!と思われるかも知れませんが、これは例え話です。そうかも知れないと思われましたら、今悲しんでいるかも知れないお身体を労わってくださいね。

怒りが込み上げてきたとき、まずは怒って良いのですが、少し落ち着いたら、本当は自分はどう思っているのかを、考えてみると良いと思います

わたしの話ですが、以前すごく怒りが込み上げてきたことがありました。腹が立って腹が立って仕方なくて、しばらく「自分は怒っている」と自覚して腹を立てていたのですが、ちょっと落ち着いた隙に「本当はどう思っている?」と自分に問いかけてみました。すると「わたしの話を聞いてもらえなくて悲しい」ということが分かったのです。その日あった出来事は、わたしが意見を言おうとすると、相手が言葉を被せて言い切るのです。何度も何度もわたしの言葉を打ち消すように被せてきたのです。わたしの話など聞くものか!という悪意すら感じるほどでした。

それが最初は怒りとして出ていたのですが、自分の気持ちに心を向けてみると、実は悲しんでいたということが分かりました。

みなさんも、怒りが込み上げてきたとき、本当はどう思っているのかを、自分に聞いてみてください。それはきっと、悲しんでいるのですよ。

自分の気持ちに気が付くことはとても重要です。それは自分を大切にすることにもつながります。自分を大切にする人は、必ず他人からも大切にされるようになります。そして自分も、他人を大切に思うことが出来るようになります。

わたしも自分は悲しかったのだと気付きました。意見の出し合いは、話し合いの場です。勝ち負けのゲームではありませんよね。わたしの言葉を打ち消すように、相手が言葉を被せて話したことで、わたしはそういうことをしない人間になろうと思いました。

過去のお話も見てくださると嬉しいです。

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