感情の中で、持っていても良いことが無いものと言えば「ネガティブ」ですよね。ネガティブ感情と言えば、恨み、妬み、嫉み、といった執着でしょうか。
みなさん、こんにちは。今日はネガティブを持ち続けることの意味を考えてみたいと思います。
ネガティブ感情である、恨み、妬み、嫉み、といった執着があると、それ自体が、どんよりとした心の重みになってしまうので、いち早く手放すことをお勧めします。手放すことで、心が軽くなりますからね。
例えば、「自分は、あいつが許せない」と思っていたとします。その「あいつ」のことを考えると、腹が立って仕方がない。ご飯も喉を通らなければ、夜も眠れない。といった生活をしているとします。でも、「あいつ」は、あなたのそんな気持ちを知る由もなく、毎日美味しくご飯を食べて、夜もぐっすり眠っているのです。
なんだか、おかしな話だと思いませんか。自分はこんなにも腹が立っているというのに、相手は何も気にせずに幸せに生活しているのです。怒っている自分は、毎日が辛いばかりなのに。
サスペンスなら、何か事を起こしてしまうでしょうが、まさかそんなことをするわけにはいきませんよね。
そう考えると、いつまでも「あいつを許せない」なんて思っていること自体が、自分を辛くさせているという事になりますよね。
ではどうしたらいいのかというと、もう、受け入れるしかないのです。
身も蓋もないな、それが出来れば苦労はないよ。と、おっしゃいますか。
他に道があるとするならば、二つしかありません。相手と戦うか、相手から逃げるか。
自分も相手を傷つけて、また更に相手から傷つけられて、お互いにケガを負って、どちらかが倒れるまで続けます。
逃げる場合は、全てをそこに置き去りにして、その場を去るのです。振り返ることなく、一目散に。
このように、相手を叩いてみても、逃げ出して問題を見えなくしてみても、結局のところ、問題は解決していませんよね。こういった場合、また同じような問題が浮上してくるのです。例え喧嘩に勝っても、また新たな喧嘩の相手が現れるし、逃げた先でも、同じようなことが起きるのです。
だからもう、仕方がないと受け入れるのです。自分は「それ」が許せないけれど、「それ」は自分の思うように動かすことは出来ないのです。だからもう、自分にはどうする事も出来ない、「仕方がない」と、執着を手放すことが一番良い道だと思うのです。
受け入れて執着を手放すと、何かしら良いことが起きてくるものです。それは、神様からのご褒美です。(器が広がるときという話も見てみてくださいね。参考になればと思います)
争って傷を負っても問題は消えず、逃げても問題が追いかけてくる。
だったら、神様からご褒美がもらえる方法である、問題への執着を手放すことが、一番幸せな選択なのではないでしょうか。
みなさんは、どの方法を選びますか。