こんにちは。誰かの意見を聞いて「それ素敵」と、思うことってありますよね。反対に「どうしてそう思うのかな」と、思う言葉もあります。みんなが同じ本を読んでいても、感想がそれぞれ異なることと同じですね。
相手と話していて、話が合うとはいっても、100%同じ考えとは限りません。Aさんは、ウサギは好きだけどカエルは嫌い。Bさんは、ウサギもカエルも好き。こういったことは、当然ありますよね。
以前にも書いたことがあるのですが、「何から何まで自分と全く同じ」と言うのは、どう思いますか。全く同じなのだから、意見も合うし、思うように行動が出来そうですよね。一見理想のようですが、それはつまり、新しい考え方が生まれてこない可能性もありますね。お互いが違うからこそ、新しい発見をすることもできますし、互いに思い合うこともできます。例えば、
A「これ辛いけど美味しいよ」
B「えっ、私は辛いものは苦手だから、要らないわ」
A「そんなこと言わずに、一口だけでも食べてみてよ。美味しさが分かるからさ」
B「辛いと分かっているものを、食べようとは思わないよ」
A「この辛さがアクセントになって、美味しいんだってば」
B「だから、食べたくないんだってば。自分の価値観を押し付けないでよ」
A「え、そんなつもりは…」
いかがでしょうか、この会話。Aさんは、自分が美味しいと思ったので、ただBさんと分かち合いたかっただけなのですが、Bさんは、辛いものは苦手だから、食べたくないと思っているのです。
お互いの意見の言い合いで、どこまでも平行線。二人ともが、相手の意見を理解しようとしていないからです。
そう、ただ理解すればいいだけなのです。「あなたは、そう思うのですね」と、受け取るだけでいいのです。
Aさんは〇と思うけれど、Bさんは△と思う。ただそれだけ。
「そうか、Bさんは△と思うのか」と、理解するだけでいいのです。自分と意見が違うからと言って、それはBさんに否定されているわけではないのです。それはただ、Bさんの意見に過ぎないのです。
意見が違うからと言って、自分が否定されたと思うのは、曲解と言ってもいいのではないかと思います。自分の意見と相手の意見。合う時もあれば、合わないときもあります。それは「ただの意見である」という事を理解することが出来れば、自分の意見も相手の意見も、どちらも尊重することが出来ます。
これが、何かの結論を導き出さなくてはならないとき、例えば会議や商談などの場合には、お互いの意見を理解した上で、妥協点をすり合わせていくことが可能になります。これは、お互いの意見を言い合うだけでは、出来ないことですよね。
意見は意見として、一歩離れて視野を広げてみることで、今までと違ったことに気付くことが出来るものです。
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