意識するということ

日記

こんにちは。以前、心を込めるにも書きましたが、何事においても、心を込めるかどうかで、あらゆる印象が変わります。それは仕事だけではなく、私生活においても同じです。

心を込めるというのは、意識を向けるという事です。無意識に習慣として取る行動よりも、意識してする行動の方が、より成果は出やすいです。

例えば挨拶です。相手の顔を見てあいさつするのか、ただそこに人が居るから、習慣として声を発しているだけなのか。お互いに顔を見てあいさつをする方が、目には見えない何かを受け取れたような気持ちになります。

以前、気軽に人と会えない状態になったとき、オンラインでやり取りをした経験がある方は多いと思います。この頃、すぐそこの画面にリアルタイムにその人が居るのに、何か足りない気がしませんでしたでしょうか。話すときのテンポも合わず、それぞれが一斉に切り出してしまって、お互いに何を言ったのかが分からない状態になった経験は、わたしだけではないはずです。

この時に分かったのですが、わたし達は無意識に、お互いの気配と言うか空気みたいなものを感知して、意思疎通を行っているようです

今ではオンラインに慣れた方でしたら、上手く話を運ぶことが出来るかと思いますが、それでも画面の向こう側に居る人から、目をそらすことは無いのではないでしょうか。目をそらした途端に、見えない糸みたいなものを見失ってしまったような感覚になります。これは、わたしだけでしょうか。

意識するという事は、心を込めるという事で、それはどのような行動に対しても、持っているか持っていないかで、内容が大きく変わります

以前、お釈迦様のお話を紹介したことがあるのですが、もう一度書きますね。お釈迦様が説教中に虫が飛んできました。その時お釈迦様は、手で虫を払う動きをして追い払ったのですが、思い直してもう一度同じ動きをされたそうです。それを見た弟子が「もう虫はいないのに、なぜまた同じことをしたのですか」と問いかけると、「私は先ほど無意識に追い払ってしまったので、今度は意識してやったのですよ」という答えが返って来たそうです。

お釈迦様も意識を伴う言動を、大事にしていたということですね。それほど、意識をして行動することは重要なのです。

新聞や携帯、TVを見ながら、食事をしていないですか。

食事なら食事に、携帯なら携帯に、読書なら読書にと、それぞれの行動に一つ一つ向き合うことが、自分の人生に誠意をもって生きていると、言えるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

心を込める

意識を向ける先

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