切磋琢磨の話

庭-4 日記

2020年秋。動画のお勧めに、やたらと目を引く人が現れました。

目を引くと言っても、奇抜なサムネイルというのではなく、ご本人が笑顔で写っているのですが、なぜだか気になるのです。数日間気になりつつも見ていなかったのですが、ついに見てみようと思って、ポチっとしてみました。

どうして数日間、気になりつつも見なかったのか。その理由は、わたしが能力者だったからだと分かりました(冗談です(笑))

この方は、ちょっと衝撃的なことを言っておられました。衝撃的と言っても過激ではなく、いや、過激と言えば過激かな?

この方は「全人類クソ理論」というものを提唱していたのです。

これまで見聞きした自己肯定といえば、自分は素晴らしい、運が良い、大丈夫など、前向きに肯定していこうというものが多かったので、この「クソ」という言葉に驚きました。

この方が提唱していることは、わたしの解釈ですが、全ての人は「クソ」であるということ。もちろん自分も。自分はダメな奴だと思っているかもしれないけれど、誰もがダメな人間なのだ。だからこそ、向上するために人は皆、努力をしているのだ。ということだと思います。この解釈は多分、合っています。

ダメな者同士お互いに刺激しあって、それぞれが学び、今より少しずつ良くなっていくのだ、という考え方です。考え方や行動の仕方、言葉遣い、様々なことから、それぞれがそれぞれを刺激して、ぶつかってみたり認めてみたりして前に進んでいくのでしょう。

実は「クソ」という言葉には、かなりの抵抗感はありますが、それくらいの位置から人は始まって、一生をかけて切磋琢磨しているのだということなのでしょうね。

人との出会いは、自分に何かをもたらし、変わるきっかけとなります。それが動画であって、実際に会って話したことがない人とでもです。わたしは興味を持って、メモをしながら見ることもあります。自分も含めて人は皆、誰かの先生なんだな、と思います。

だから、「自分はまだまだだ!」と思っても、それは当たり前なのだと思えたら、少し肩の力が抜けて、そんな自分も認めることが出来るかもしれないですね。

この方の言う「全人類クソ理論」とは、気持ちに余裕を持つための言葉なのかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました