誰かのためって本当に誰かのため?

アネモネ 日記

こんにちは。人はよく「あなたのためを思って言っているのよ」なんて言いますが、それって本当に「あなた」のために言っているのでしょうか。

今回は心理学的な観点から、考えてみたいと思います。と言いますか、まず、結論から言いますと、「あなたの為」と言いながらも「わたしの為」なのです

「えっ、そんなことないよ。自分は本気で地球の為を思って行動しているのよ」とか、「本気で子供の将来を考えて言っているのよ」とか、「何を筋違いなことをおっしゃっているのかしら?!」とか思われるでしょう。

確かに誰もが本気でそう思って言動を起こしているのですが、その思いの更に奥深くの心の中では、実は「自分のため」なのだそうです。

でもそこを「どうしても受け入れがたい」と言われる方は、とりあえずそれは横に置いておいて、このまま読み進めてみてください。

例えば、あなたが誰かから「あなたそれ、恥ずかしい行動よ」とか、「普通はそんなことはしないわよ」と言われたとき、「えっ」と思いませんか。

世間って?

普通って?

誰から見てそうなの?

日本の常識は海外の国での非常識、もしくは海外の国での常識は日本では非常識ってありますよね。それは日本という、同じ国の中でも起きています。風習や慣習は、それぞれの地域によって違いますよね。たった一つの山を越えただけなのに、川を渡っただけなのに、といった具合です。

なので、ここからは提案なのですが、これからは「あなたのため」と言う代わりに、「わたしがこうしてほしいから」と言ってみてはいかがでしょうか

「あなたのため」と押し付けられるより「わたしがそうされるのが嫌なので、こうしてほしいと思うのです」と言われる方が「そうなのね」と、受け入れやすいと思いませんか。

例えば、家に帰って来るなり、靴下をその辺に脱ぎ散らかす家族がいるとしたら、「わたしが嫌な気持ちになるので、せめて洗濯カゴの中に入れてほしいな」と言ってみるのと、「脱ぎ散らかさないでと、いつも言っているでしょう!」と怒るのと、あなたならどちらの言葉を受け入れやすいでしょうか。

恐らく、「わたしが嫌なので」と言われる方が、「そうか、嫌なのか」と素直に受け止めて、今度からは気を付けようと思いませんか。

「あなたのため」といわれるよりも、「わたしのために」と言われる方が、なぜだか納得してしまいますよね。

試しに、「わたしはこう思うから」という言葉を付け足して、話してみてはいかがでしょうか。

自分の中にあるもの-1

捉え方が分かれ道

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