話が通じないということは

水色 その他

みなさん こんにちは。

前回は素粒子の話でしたが、いかがでしたか。「何を言っているのか理解できないよ」と思われたでしょうか。

前回のような話をすると「何の話だ?大丈夫か?」と、変な顔をされることが、しばしばあります。ということで、今回は話が通じないという話です。

時々どうしてだか、わたしの言っていることが理解されないことがあります。わたしは特に難しい話をしているつもりはなく、ただ思ったことや、疑問に思ったことを口にしているだけなのに、理解してもらえないということは、すごく不思議です。

大概の場合は「あなたって不思議ちゃんなのね」と、一蹴されてしまいます。

こういったことから思ったのですが、人は自分が理解できないことに対して、相手を馬鹿にする傾向があるようです。努力家や一生懸命にやっている人を、あざ笑う人もいます。そういう人は自分が出来ないから、相手を見下すことで優位に立とうとしているのでしょうか。それは意識的にか、無意識的にかはともかく。そういった人は、自分の世界に囚われすぎて、視野が狭くなっていて、相手を理解しようともしませんよね。

わたしの体験ですが、本当に理解できないことがありました。「子どもに勉強を教える」という話で、わたしは考え方を教えて、その問題の答えを出す方法を教えるべきで、答えを教えることが、勉強を教えることではないと言ったのですが、なぜだかそれを理解してもらえず、逆に相手が怒り出したのです

相手の方がどのように受け取ったのかは分からないのですが、「そんな言い草があるか!」というのです。わたしからすると、その方は答えを教えるべきだと言っているように聞こえたのですが、その本意を聞くことが出来ませんでした。何を言っても「あなたは間違っている!」と言われて、話にならなかったのです。

どうして怒っているのかも分からなくて、これこそ理解不能でした。考え方が違うのなら、それはそれでいいと思います。自分と意見が違うからと言って、わざわざ争うこともないと思いますし。恐らく両者は、住んでいる世界が違うのですから、仕方がありません。

以前、唯一無二の話をしたことを覚えていらっしゃいますでしょうか。その中で、

①あなたはあなたで、唯一無二の存在なんだよということ。

②人それぞれに正義があるんだよということ。

③世の中には必要なものしかないんだよということ。

と三つ話したのですが、そういうことなのです。

住んでいる世界が違うことと、それぞれが唯一無二の存在なので、考え方や捉え方が全く違うのです。だから、わざわざ非難し合う必要はなく、そういうものなのだと理解するだけでいいのです。世界が違えば、常識も違うのですから。

日本人は古来より、真面目というか一途というか、一つの道を究めようとする人が多いと、わたしは思っています。一つの道を脇目も振らずに、ひたすら進み続ける癖があるのかも知れません。時には立ち止まって、異世界の話も聞いていただけると、わたしも「不思議ちゃん」だなんて言われなくなるのかな、と思います。

みなさんは、どのようにお考えになりますか。

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