時間の感覚

パラレルワールド-1 日記

こんにちは。今回は、前回の予祝の話の補足みたいな感じです。

前回は「願いが叶った」という先取りでお祝いをするという話をしました。それは「この願いが叶いましたのでお祝いしますよ」と、時間的に自分の脳を騙して、あたかも叶ったかのように振舞うことで、願望達成の近道を模索しようというものです。

人間の脳というものは、実は時間という概念が曖昧なのだそうです。

どういうことなのかといいますと、例えば、10年前にスピーチで失敗をしたことがあるとします。水を飲もうとしてグラスを取り落としてしまって、水浸しにしてしまったとします。それを10年も過ぎた今、ふと思い出したとき、それがつい今しがた起きたことかのように、心が慌てふためいたり、恥ずかしいと思ったりした経験はないでしょうか。

過去の経験で、もう過ぎ去ってしまっているのにもかかわらず、自分が今その場にいるかのように、感情があふれ出してしまうという事は、「脳には時間という概念が曖昧だ」という根拠になりますよね。

こういう事から、まだ来ていない未来を想定して、まるで今体験しているかのように振舞えば、そのような未来が来ていると、脳が勘違いを起こしやすくなります。勘違いをしてしまえば、現状その通りになっていないことに矛盾を感じ、脳はそのようになる為の方法を、勝手に模索し始めます。自分の中にあるもの-3-でも書きましたが、脳は「問いかけられたら答えを探す」性質があるので、この予祝をした場合は「どうして自分は願いを叶えることが出来たのか」という問いかけに対して、答えを探し始めるのだと思います。

着地点は「叶っている」ので、「叶わないかも知れない」という概念は、最初から持ち合わせませんよね。だからもう、叶うしかないのですよ。お祝いまでしてしまっているのですからね。

叶えるために必要なことを、次々とひらめいていくはずですので、ひらめいたら行動あるのみです。疑ってはいけませんよ。自分の脳は、叶えるために必要なプロセスを、一生懸命に考えてくれているのですから。

自分の中にあるもの-3-

予祝をしてみよう

タイトルとURLをコピーしました