怒りの根底-2

灯り-1 日記

こんにちは。怒りが出たときに、どうして自分はそんなに怒るのかを考えていくと、その奥底には悲しみが隠れている、という話をしたことがあります。(怒りの根底には

今回はもう少し掘り下げて、心理学的に考えてみたいと思います。自分は一体、どういうことで怒りを覚えるのかを知ることで、自分が分かるようになりますよ

例えば誰かに馬鹿にされたとき。すごく腹が立ち、怒りを覚えます。その怒りが少し収まったときに、どうして馬鹿にされたと思ったのかを考えてみます。

「あの人は自分のことを見下していた。見下されて怒らないはずがないでしょう」と、思ったとします。では次に、他に見下された経験はあるのか、思い出してみましょう。

一番古い記憶、または、一番強く残っている記憶はどれでしょうか。そしてその人はまだ、自分のことを見下してきますか。

例えば、自分が小さい時に、誰かによく馬鹿にされていたとします。その人は、大人になった今も、馬鹿にしてくるのでしょうか。そして自分は、他人に馬鹿にされるほど馬鹿でしょうか。きっと「いいえ」ですよね。

一番古い記憶、または、一番強く残っている記憶が、恐らくその怒りの発端です。怒りとは、自分の中の劣等感が刺激されたときに、出てくるのです。

過去に、誰かに不当に扱われた経験はありますか。または、誰かを不当に扱った経験はありますか

どうして被害者と加害者の経験があるのかを質問したのかと言いますと、その経験そのものが、その人の弱点だからです。

喧嘩をしたときのことを思い出してみてほしいのですが、自分が相手にする言動というのは、そのまま自分の弱点です。「人にされて嫌なことは、他人にしてはいけないよ」と、言われた経験はありますか。正にこれです。「自分がされて嫌だったのだから、きっと相手も嫌に違いない」という心理が働いているのです。先ほどの質問ですが、だから他人を不当に扱うことで、自分が有利になろうとしているのです。

怒りが出たときは、実はチャンスなのです。

自分の中に眠っている劣等感に気付き、それはもう終わったことだと終止符を打つタイミングなのです。終止符を打つことで、また同じようなことが起きたとしても、もう怒りは出てこなくなるのです。「自分の意識次第ということ」で書いた、引き合う粒が無くなるからですね。

怒りの根底には

自分の意識次第ということ

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