感謝の循環-喉もと過ぎても

花花火-紫ピンク1 日記

こんにちは。人は、自分が誰かにやってあげたことは覚えているものですが、自分が誰かにやってもらったことは、案外忘れがちですよね。

「やってあげたから」とか「やってもらったから」と、恩を着せたり、恩を着続ける必要はないと思います。ですが、やってあげたことよりも、やってもらったことを感謝して、覚えていたいものです

誰かにやってもらった有難いことを覚えているという事は、別の誰かに、自分がやってあげる機会が出来るという事です。恩を受けた経験があるからこそ、自分の目の前に困っている人が現れたときに、自分から手を差し伸べることができるのではないでしょうか。

わたしが以前出会った人の話なのですが、例えばAさんとしますが、Aさんは20代前半に、先輩方から色々と面倒を見てもらったことがあるそうです。ご飯に連れて行ってもらったり、旅行に誘ってもらったり、仕事やプライベートなことの相談に乗ってもらったり。

あるとき彼は、その先輩方に何かお礼をしようと思ったそうなのですが、その先輩方は「自分たちへのお礼は要らない」と答えたそうです。「自分たちには要らないから、A君の後輩たちに、同じことをしてあげるといいよ」と。

わたしは何という人格者なのだろうと思うと同時に、「そうか!」と思いました。誰かへの愛情というものは、必ずしもその相手から返って来るものではないのです。お礼は要らないとは思っても、もしもお礼をしてもらえるのであれば、その人から返ってくるものだと、つい思いがちですよね。

誰かから受けた恩には、もちろん感謝します。お礼をすることもあるでしょう。そしてその後、それと似たことを自分も行動することによって、受けた愛情を次の世代へとバトンを渡していくようなものだと理解しました。子育てと似ていますよね。親は子供に愛情をかけて育てて、育った子供は自分の子供に愛情をかけて育てていきます。

愛情は巡るもの。だから、わたしのところへも届けてもらえるし、誰かのところへも届けられます。自分発信の愛情も、多くの人を巡って、いずれは自分のところへも戻ってくるかもしれませんね。

存在のありがたさ

幸せになるためには

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