努力の価値

花-18 日記

こんにちは。以前、「頑張っている人へ」として、誰かに助けてもらうことは、何も悪いことではないですよ、という話を書きました。今回は、努力することの価値について、考えてみました。

世の中には、コツコツと努力することが好きな人もいれば、努力することに苦手意識を持つ人もいます。人はそれぞれ、異なる価値観や動機を持っていますので、どんなことに対しても、すべてに努力をするわけではありませんよね。

わたしは、好きな事ならコツコツ努力できます。小さい頃から、祖父母に「辛抱がいいなあ」(方言かも知れませんので解説です。「辛いことや、苦しいことを、我慢することに長けているなあ」といった意味です)と、よく言われました。

わたし自身は、辛いとも嫌だとも思っていないことを、ただ無心にやっていただけなのですけれどもね。例えば、蟻の行列を追いかけて、蟻の邪魔をしてみては観察するとか、家族にオセロ対戦を挑み続けるとかです。

好きなことに対しては、自然と努力ができるものです。でも、それが全ての人に当てはまるわけではないかも知れません。

人生を振り返った時、努力して得たものと、運良く手に入れたものの割合は、人それぞれ異なるでしょう。ただ、多くの場合、努力せずに手に入れたものの方が、多い気がするかもしれません。それは、わたしの例のように、努力しているつもりが無いけれど、努力している状態があって、結果を手に入れている可能性はありますよね。わたしは、オセロが強くなりましたからね。

努力することの楽しさを感じられるなら、それは素晴らしいことです。努力して手に入れたものは、確かに大きな達成感を与えてくれます。

でも、努力が苦痛であるのなら、無理をしてまで、努力をする必要はありません。時には、運やタイミングが良いことによって、望むものが手に入ることもあります。

努力が、必ずしも100%結果に直結する保証は、ないですものね。とはいえ、努力は、目に見えない形で自己成長に繋がり、将来的に大きな成果をもたらすこともあります。努力すること自体には、自分を磨き、可能性を広げる価値があります。

努力することの価値は、それが個人にとって、意味のあるものかどうかによります。努力によって得られるものは、単に目標の達成だけではなく、その過程で学ぶことや、経験することの中にも、見出すことができます。その人がどのように感じ、どのように価値を見出すかによって異なるのでしょう。

自分が心地よいと感じるバランスを見つけることが、最も価値のある努力かもしれませんね。

頑張っている人へ

勇気を持って逃げよう

タイトルとURLをコピーしました